彫刻の小径

金沢城を巡る道の一つが白鳥路で、石川門下から大手堀方向へ向かう入口に前田利家の銅像があります。天然の緑のトンネル(この時期は桜)の下を歩いて行くと金沢ゆかりの三文豪をはじめ、いろいろな彫刻と出会うことができる彫刻の小径となっています。当然、大手堀近くに白鳥の像があります(笑)

【撮影場所:白鳥路 撮影日:2014年04月06日 PENTAX K-x

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ウィキペディア引用】尾張国海東郡荒子村(現・名古屋市中川区荒子)の荒子城主前田利春の四男。はじめ小姓として織田信長に仕え、青年時代は赤母衣衆として従軍し、槍の名手であったため「槍の又左」の異名を持った。その後柴田勝家の与力として、北陸方面部隊の一員として各地を転戦し、能登一国23万石を拝領し大名となる。
信長が本能寺の変により明智光秀に討たれると、はじめ柴田勝家に付くが、後に羽柴秀吉に臣従した。以後、豊臣家の宿老として秀吉の天下平定事業に従軍し、加賀国・越中国を与えられ加賀藩百万石の礎を築く。また、豊臣政権五大老に列せられ、豊臣秀頼の傳役(後見人)を任じられる。秀吉の死後、対立が顕在化する武断派と文治派の争いに仲裁役として働き、覇権奪取のため横行する徳川家康の牽制に尽力するが、秀吉の死の8ヶ月後に病死した